白い曼珠沙華
いつもご訪問いただきありがとうございます😊
先日の記事で白い彼岸花が咲いていたと紹介しました
9/27の記事
その記事のコメントに
「白い彼岸花を初めて見ました」といただいたのですが
ここ数年赤くない彼岸花を
よく見かけるようになった気がします
何故か私にとって白い彼岸花は
思い入れの強い花のようで
真っ赤な彼岸花の中に一生懸命白を探しています
もちろん白いのが珍しいというのもありますが
たぶん一番の原因が
灰谷健次郎さんの『太陽の子』なのだと思います
自信がなかったので主人に
「太陽の子に白い彼岸花出てきたよね」と聞いても
軽ーく無視
読書家の義母に聞いても
「そうだったっけ?」と😓
子育てを頑張っていた20年ほど前
子どもの国語の教材に『兎の眼』が出てきました
大学時代に読まなかったなぁという想いもあって
『兎の眼』と『太陽の子』の2冊を購入してきました
学生時代は教員を目指していた事もあって
とても考えさせられた2冊でした
母を亡くした後だったということもあり
とくに『太陽の子』は心に深く残りました
ただ心に深く残った事は覚えていても
内容の方はすっきりさっぱり忘れてしまったのです
覚えているのは
真っ赤な曼珠沙華の花畑の中に
一輪白い曼珠沙華が咲いていた…
ここからは私の中で勝手に脳内変換された話です
その白い曼珠沙華は天国に繋がっている
そこにキラキラと光がこぼれおちている
『太陽の子』がたったこれだけの印象に
なってしまってました
(それすら確かでもなかったし😑)
それでそのコメントをいただいてから
すっかりもう一度読みたい病にかかってしまって
子供部屋の本棚を漁りまくりました
そしてちょうど棚の柱に隠れたところに
見つけたのです
そして件の記述を見つけました!
小6のふうちゃんがおとうさんとおかあさんと
神戸の山手の坂を登っています
お弁当も作ってハイキングに行くような
でも、本当はおとうさんの心の病気の診察を受けに
病院に向かっていました
その途中に一面に咲いた真っ赤な曼珠沙華を見つけたのです
みんなでそのお花を見ながらお弁当を食べました
そのとき、ついとふうちゃんの手がのびた。
「おとうさん。曼珠沙華で花輪つくろ」
おとうさんはしかたなさそうに、その手をとった。
ふたりは花を摘みはじめた。
<中略>
「あれっ」
とつぜん、ふうちゃんがけげんな顔をした。そして
「おかあさん、おかあさん!」
と、けたたましく叫んだ。
ふうちゃんの指さす方に、白い花が咲いているのだった。
おかあさんはその花をじっと見た。ふうちゃんもおとうさんも
しゃがみこんで、それを見た。
「白い曼珠沙華なんてはじめて見たなァ。な、おとうさん」
おかあさんはため息をつくようにぽっつりいった。
白い曼珠沙華はほんの数本咲いているだけだったが、いかにもきりりっとしていて、まわりの花にすこしも媚びていなかった。
「けなげやなァ」
と、おかあさんはふたたび感心した。
ほんとや、と、ふうちゃんも心の中で思うのだった。
「この曼珠沙華は摘んだらあかん」
ふうちゃんはそういった。おかあさんと視線が合って、もちろん、おかあさんもそう思っていた。
『太陽の子』より
これが冒頭部分です
色の描写がとても印象的で
心の中にこのワンシーンがずっと残っていたみたいです
物語は秋に始まってふうちゃんが様々な生と死を経験して、春に話の終わりを迎えます
しかし、最後にもう一度冒頭と同じ色の描写が
なされているのです
ここは書きませんね😊是非ご自分で読んでみてください
彼岸花と書かず曼珠沙華というサンスクリット語を使って書かれていることが
この本のテーマを表しているような気がして
さらに深みを感じます
赤に白
このモノトーンが
私は「シンドラーのリスト」と
相通じるものがあるような気がしてなりません
モノトーンの中に印象的な赤
印象的な死生観
あぁ、「シンドラーのリスト」ももう一度観たいですね
最後まで読んでいただきありがとうございました😊